2016欧州自転車旅行記(5/4)

5月4日(水) 5月4日(水) 晴れ ラインフェルデン (Rheinferden)→バーゼル (Basel)→バート・ベリンゲン (Bad Bellingen))
今日は、午前中に25kmを走りバーゼルで市内観光を楽しんだ後、さらに25㎞先のバート・ベリンゲンまで、トータル約50㎞を走る予定です。バーゼルでの宿泊も考えましたが、スイスはドイツに比べて物価が高いのと、一般の宿は朝食無しが普通とのことなので、ドイツで宿をとることにしました。

ライン河はバーゼルまで西に進み、ここで大きく右に曲がり北上します。その昔、60~100万年も前とのことですが、ライン河はバーゼルからそのまま西に進み、ローヌ川と併走・合流し、地中海に流れ込んでいたそうです。それが大きな地殻変動により、ヴォージュ山脈と黒い森山地に分かれ、その間に陥没が生まれためにラインの流れが大きく北に向きを変えたそうです。

この大きな地殻変動によるライン河の流れの変化が、その後有史時代に入って、民族間の様々な争いに大きく影響を与えることになったということではないかと思います。仮に地殻変動がなく、ライン河がローヌ川に合流し地中海に流れていたとすると、ローマ人とゲルマン人とを分け隔つ障害はなくなります。そうすると、ローマ人にとっては容易に進行できるようになり、ガリア地方がシーザーによって征服されたと同様に、ゲルマン人の地はローマ人の手に落ちていたかもしれない、などと勝手な妄想も膨らみます。
おおまかな走行ルートは下図を参照ください。


朝靄のかかるライン河を眺めながら、ゆったりと朝食を楽しんだ後、午前9時過ぎにチェックアウト。まずは昨日の雨で汚れの目立つ自転車の清掃です。持参した携帯ブラシで主要部分の泥を落とす。携帯ブラシの持参は正解でした。
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お城のホテルはこんな感じ。です。

ちょうどドイツ人男性の二人組も出発の準備をしており、お互いのスケジュールなどで暫し談笑。二人は自転車好きの高校時代の友人だそうで、1週間かけて「黒い森」 (Schwartzwald)を巡るそうです。私たちが日本から自転車を持ってきたことに大変驚いていました。お互いに"Gute Reise"と声をかけ出発する。
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チェックアウト時にフロントのスタッフからスイス側のラインフェルデンの町を一目見ると良いよとのアドバイスがあり、対岸に渡りました。メインストリート界隈は15分もあれば十分なほどにかわいらしい街並みでした。
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スイス・ラインフェルデンの街並みです。

町の様子を動画でもどうぞ。
https://youtu.be/CMRZW_ZMGFE

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ドイツとスイスを分けるライン河上で。ラインの流れは緩やかですが、逞しさを感じます。
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国境の動画でもどうぞ。
https://youtu.be/fSbWnCEPC-k

ドイツ側に戻り、前日に目をつけておいた"薬局 (Apotheke)"に立ち寄る。日焼けが気になるようになり、このままでは皮膚のダメージが酷くなるのが目に見えていたので、日焼け止めを買うことにしました。日焼け止めクリームにはいろいろな種類のものがありますが、その効果を表す表示として"SPA・・・"の文字を日本でよく見かけます。これは、なんと世界標準なんですね。ドイツの薬屋さんでも同じ表示でした。 迷わずSPA50+のチューブを買いました。
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ラインフェルデンを出発したのは午前10時50分。この日から急に天候が変わりました。強い陽射しのもと気温が上がり、一気に初夏がやってきような印象です。快晴の空が気持ちよく、バーゼルまでの走行は快適です。

バーゼルに向けてラインフェルデン郊外の田園地帯の走行を動画でもどうぞ。
https://youtu.be/mDAcMN-30yI

バーゼルは、チューリッヒ、ジュネーブに次ぐスイス第3の都市-といっても、人口は17万人足らずですが-で、2000トンクラスの大型船舶がオランダのロッテルダムからライン河を遡り、約800㎞先のバーゼルまで航行してくるそうです。海のないスイスでは、大量の物資を輸送できる唯一の都市として、その利便性からバーゼルはスイスの重要な工業都 市と位置付けられます。特に、化学・薬品関連企業の主要拠点のようで、走行中にご覧のように日本でも良く名の通ったバイエル社やBASF社の工場が並んでいました。敷地の広さに驚きました。
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バーゼル郊外に立地するバイエルン社の工場です。
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しばらく進むとBASF社の工場も現れます。
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バーゼルの市街地が左手に見えます。

市街地には正午に到着する。ここからツーリスト・インフォメーションを探し当てるのに一苦労、30分以上を要しました。私たち夫婦のように小さな町を縫うようにして走るサイクリストにとって、人口17万人の町は大都市です。街中に入ると車の多さと複雑な道路網に圧倒されて、GoogleMapを使っていても道に迷うことがしばしばです。
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ツーリスト・インフォで市街マップをもらい、いざ大聖堂へ。ライン河沿いに二つの塔を構える大聖堂は、1019年に建立され、その後、火災や地震に遭い、増改築が繰り返された結果、ロマネスク様式とゴシック様式が混在する建物として現在に至っているそうです。正面の左右の壁面に聖ゲオルグ(悪竜を退治)と聖マルティン(マントを割いて乞食に与えている)の騎馬像が付いています。
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バーゼル大聖堂の西正面
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大聖堂の内部の様子です。
https://youtu.be/inlebhUGTWI

二つの塔には、一人4.8€で上部に上がることができます。狭い螺旋状の階段を上がると、ライン河とバーゼル市内を一望できます。まずは正面右側の聖マルティン塔に上りました。塔先端の高さが67mということなので、展望スペースの高さは50数mといったところでしょうか。360°のパノラマは絶景です。ライン河が西進から北進に大きくカーブを切るところが手に取るように見えます。
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東の遠方に目を向 ける「黒い森」、シュバルツ・バルト(Schwarzwald)の山影が見えます。反対に西に目を受けると、フランス側のヴォージュ山脈が遠望できます。北方へ続くライン河の悠久の流れを挟み、古代から近代にいたるまで民族間の争いが絶えず、両山脈の間の広大な平原で多くの悲惨な戦いが繰り広げられてきたのかと考えると、感慨深いものがあります。流れを北進した少し先に、スイス-ドイツ-フランス三国の国境を分けるブイが川の流れに浮いているということですが、塔の上からは判別できませんでした。

バーゼル大聖堂・聖マルティン塔からの展望です。
https://youtu.be/ydPVkpemSKU
バーゼル大聖堂からの展望(その2)
https://youtu.be/2btV8BHLqcc

聖マルティン塔から聖ゲオルク塔へは上層部で行き来ができます。しばらくの間、大聖堂からの展望を楽しみ、バーゼルを後にしました。歴史の古い町で事前の調査ではいろいろと尋ねてみたい史跡もあったですが、残念ながら時間も限られ、本日の宿泊地であるバート・ベリンゲン(Bad Bellingen)へ向かいました。
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下りの階段は目がすくみます。

大聖堂で時を刻む鐘。直径は2mを超える大きさです。そして、その鐘を定刻に鳴らすための時計です。
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ライン河畔に抜けるまでのバーゼル市街中心部の通りの風景を動画で移しました。以下のURLでご覧ください。
https://youtu.be/8nPHjixrPZM

バーゼルを出発したのは午後2時30分過ぎでした。気温は20℃をゆうに超えているのでしょう。強い陽射しは初夏の陽気です。上はTシャツ一枚で十分です。バーゼル市街を抜けてしばらく走っているとどうも走りが重く感じ、降りてみるとなんと後ろのタイヤの空気が抜けています。パンクかと思い、空気を入れ直したところ直ぐには空気が抜けないので、単なる空気圧の低下と判断して走り続けると、再び空気圧がほとんどなくなるという事態であることが分かり、適当な場所を見つけチューブ交換の作業に入りました。

ところが、この自転車で後輪がパンクするのは初めてです。後輪はツーリング用に太めのガッチリとした仕様にしたために、これまでのやり方ではタイヤがリム本体から外れません。翌日、ネットで要領を得たのですが、この時はタイヤのリリースに使うペグを折ってしまうという始末でした。40分ほど悪戦苦闘の末、結局チューブ交換を諦めました。空気の抜け方が緩やかだったので、その後は途中で何回か加圧を繰り返し騙し騙しの走行となりました。

悪いことは続けて起こるものです。なんとバート・ベリンゲンの10kmほど手前で、今度は前輪のパンクです。「泣きっ面に蜂」とはこのことです。一日に2度もパンクをするとは想定外でした。前輪のパンクは昨年、フランクフルトのマイン川河畔の公園をポタリング中に画鋲を踏んで以来です。
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バード・ベリンゲンへ向かうライン河自転車道。途中、舗装されず細かな石の混ざる固い土道が続き、ここでパンクが発生。

20分ほどでチューブ交換を終え、バート・ベリンゲンの町外れに着いたのが午後5時過ぎでした。ここから宿にたどり着くまでが一苦労。2度のパンクで気落ちしている上に、ライン河畔から宿までの急登を手押しで進み疲労困憊です。這々の体で宿に着いたのは午後5時40分過ぎでした。

前日にメールで宿泊予約したところ、5時半には自宅に戻るのでそれまでにチェックインをするようにとの連絡があり、十分に間に合うようバーゼルを出発したはずでしたが、予想外のトラブル発生で間に合いませんでした。幸いインターンフォン越しに連絡が取れ、セイフティボックスに鍵を入れているからそれを使うようにとの話で、事無きを得ました。ライヒェナウ島の宿もそうでしたが、個人経営の宿の場合、住居と離れ ていることがあるようで要注意です。今回は前日にメール連絡で予約を入れておいたのが幸いしました。

大汗かいて急騰した甲斐があって、ライン河の遥か向こうにフランス側が見渡せ、ヴォージュ山脈の山並みが広がる絶景を楽しめる宿でした。暫くしてイケメンの息子さんがやってきて、何か手伝うことがあるかということなので、近くのレストランの場所を教えてもらい、予約を取ってもらいました。

シャワーを浴び、洗濯も済ませてレストランに向かうと、既に7時半を回っていました。レストランは満席で、予約なしのお客は諦めて帰るという賑わいです。漸く日が西に傾き掛けてきて、夕日をバックにフランス側の平野部とその奥にヴォージュ山脈が金色に輝き、素晴らしい眺めの中での晩御飯となりました。パンクに泣かされた一日の疲れは、この絶景と旬のシュパーゲルにヴァイツェンビールですっかり癒されました。
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ヴォージュ山脈に日がまさに沈もうとしています。
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日没後のヴォージュ山脈。すでに午後9時を回っています。

【バーゼル豆情報】
西暦374年にローマ皇帝がここにゲルマン民族に対する城塞を築き、バシリアと名付けたのがバーゼルの起源だそうです。ローマ軍はライン河を挟んでゲルマン民族と対峙。5世紀にアウグスタ・ラウリカ(バーゼルとラインフェルデンの間にある、現在はアウグスト)にあった司教座が、ゲルマン民族の徹底した街の破壊により、バシリアに移ってきた。その後、民族大移動と西ローマ帝国の滅亡によって起こった無政府状態の中で何とか生き延びようとして、人々は司教のもとに結集し集落の体を成したのがバーゼルだそうです。このことが、その後の神聖ローマ帝国でも権勢をふるった司教領主という制度に繋がったそうです。一方、本格的な都市の形態を整えたのは、14世紀後半から15世紀前半に神聖ローマ帝国から独立した頃に遡るとも言われています。

【走行データ】
走行距離:50.32km(累計:375.71km)
平均速度:15.6km/hr
最高速度:33.4km/hr

(続く)
5/5日(木) バート・ベリンゲン(Bad Bellingen)→フライブルク(Freiburg)→ストラスブール(Strasbourg)
http://dolphin-kick55.at.webry.info/201607/article_5.html

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