2016欧州自転車旅行記(5/9)

5月9日(月) 晴れ後曇り ハイデルベルク(Heiderberg)→ヴォルムス (Worms)→ヴィースバーデン (Wiesbaden)
この日はハイデルベルクからヴォルムスまで列車で移動し、ヴォルムス観光後にライン河沿いにマインツ(Mainz)まで約60㎞を走り、少し足を延ばして温泉保養地ヴィースバーデンまで走るというのが当初の予定でした。しかし、家内の調子がまだ完全ではなく、無理は禁物と考え、観光のみ自転車で回り、都市間の移動は全て列車となりました。

1.ヴォルムス(Worms)にて
【リープフラウエン教会(聖母マリア教会)】
ヴォルムスは古代から近世に至るまで長い歴史を持ち、またドイツワインの有名ブランド"リープフラウミルヒ"の発祥の地でもあります。詳しくは末尾の【ヴォルムス豆情報】をご覧く ださい。
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ヴォルムス中央駅からポタリングをしながら、町外れにある"リープフラウエンキルヒ(聖母マリア教会)"に向かう。教会はぶどう畑に囲まれて静かに建っていました。見学者は私たち夫婦のみ。ここが世界的に有名なドイツワインのブランド"リープフラウエンミルヒ(リープフラウミルヒ)"の発祥の地です。
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聖母マリア教会の外観。
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この教会の修道士が作り始めたワインは、当初は"リープフラウエンメンヒ(聖母マリア教会の修道士)"という、その名の通りの名前だったようですが、当地の人々の発音が"リープフラエンミンヒ"に聞こえ、これがこの地を離れることでいつの間にか"リープフラウエンミルヒ(聖母マリアの乳)"で定着したそうです。
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ワインとは関係ありませんが、教会の掲示板にこんなポスターが貼ってました。教会専属の合唱団員の募集です。左は混声四部の合唱団。ミサ曲を中心にコンサートもするようです。面白いのは右上の男声ボーカルアンサンブルのメンバー募集です。男声四部のアコースティックな(無伴奏)コーラスは、この教会の音響環境の中で素晴らしい響きを体感できるというようなことが書かれています。私は、学生時代に男声合唱団に所属して歌っていたこともあり、この教会で歌うとどんな感じに響くのか、倍音が鳴り捲るのか、興味津々です。確かに、フライブルクの大聖堂で体感したように、教会はコーラスにとって格好の場だと思います。

【ヴォルムス大聖堂(聖ペーター教会)】
聖母マリア教会から大聖堂へ再び市街へ向かう。大聖堂はマルクト広場近くに堂々と構えています。この聖堂は東と西の双方に大祭壇(内陣)があり、全部で6つの塔を持つ大聖堂です。バーゼル、ストラスブール大聖堂と同様に赤砂岩で建てられています。さすがに司教座の置かれた町の大聖堂という印象であり、内部の祭壇や絵画も立派なものが並び、ステンドグラスもきめの細かな豪華なものでした。
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東側内陣のある建屋の下から二つの東塔を見上げる。
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大聖堂の内部の建築も立派です。両側に司祭が着席する席が並ぶ。
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大聖堂全景の模型図。
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壁に突き出たパイプオルガン。相当な重量のパイプ群を支えています。
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ステンドグラスのきめの細かさに圧倒されました。

ヴォルムスは、1521年にマルティン・ルターが帝国議会における宗教裁判で追放刑を受けた地として有名です。事前の調査でレター記念碑を訪れる予定にしていたのですが、当日どういうわけか忘れてしまい、残念ながら訪れることができませんでした。

2.マインツ(Mainz)にて
ヴォルムスからマインツまでは列車で約30分の移動です。中央駅から向かった先はマインツ大聖堂近くのライン河畔。ベンチに腰掛け遅めのランチでした。
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自転車を輪行袋に詰める必要もなく、気軽に列車に乗り込めるドイツ鉄道は、機動性に富みサイクリストにとって本当にありがたい交通機関です。
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マインツ中央駅構内。

ライン河は、バーゼルからマインツまでの約360kmを北上する区間を「上ライン(Unter Rhein)」と呼ばれ、この地でマイン川が合流し、流れを西に大きく変えます。マインツからコブレンツを経てボンまでの区間は、「中ライン(Mittel Rhein)」と呼ばれています。
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マインツ市街を流れるライン河。川幅は数100mはあります。上空をフランクフルト国際空港に向かう飛行機が低空飛行でひっきりなしに降下していました。面白いのは着陸用の滑走路が2本平行して並んでいるのでしょう。2機の飛行機が並行して降下してしてくる風景が見られました。日本では見ることのできない着陸風景です。
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【マインツ大聖堂】
マインツ大聖堂は、ヴォルムス大聖堂と同様にラインラント・ロマネスク様式の建物です。東西に袖廊と内陣を持ち、6基の塔が並んでいます。マインツの大司教は、中世から近世にかけて神聖ローマ帝国の筆頭選帝侯として絶大な権勢を誇っていて、その大司教が管轄した大聖堂との印象でした。
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マインツ市街の中心地にあって、大聖堂の全体像を写すのが難しい。
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大聖堂の中庭から。
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マインツ大聖堂前の広場。

3.ヴィ―スバーデン(Wiesbaden)にて
午後4時半過ぎにヴィースバーデン中央駅に到着する。観光地、温泉保養地とあってか駅舎が立派です。
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【シリア・レバノンレストラン】
宿泊した宿のオーナーがシリアあるいはレバノン出身なのか、隣接するレストランで晩御飯を食べると料金10%引きしてくれるというので、迷うことなくこのレストランに決めました。家内もシリア・レバノン料理に興味津々です。しかし、メニューを出されても料理そのものがどんなものか分かりません。

恰幅の良いおじさんウェイターにこのお店のお勧め料理二品を聞き、出された料理が写真の二つです。写真上の料理はトルコ料理のケバブのようなものです。下の一品は七面鳥のグリルのようなものですが、スパイスがかなり効いたピリ辛でした。いずれも今までに味わったことのない美味しさでした。これがシリア・レバノン料理の味付けなのかと。内戦で明け暮れるシリアで、どれほどの人たちが自国料理を楽しんでいるのでしょうか。
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ケバブ風肉料理
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七面鳥の料理
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シリア・レバノン料理には細長い米が良く合います。

【カイザー・フリードリヒ・テルメ】
家内には当日まで"カイザー・フリードリヒ・テルメ"のことを話してはいましたが、そこがどんなところかとは話してはいませんでした。念のため、ネットで下調べをしてから行くかどうかを決めるようにと話したところ、家内はスマホであれやこれやとサイトを巡り、しばらく悩んだ後に「私はやめとくわ」と断言。男女混浴、しかもタオル一枚のみという、余りにも過激なスタイルに引いてしまったようでした。

結局、私一人で探訪することになりました。時刻は午後7時半を回り、宿の前の広い通りを渡ると、両側に飲食店が立ち並ぶ繁華街に通じ、多くの人たちがビールやワインを片手に食事と団欒を楽しんでいました。カイザー・テルメは通りから少し奥まったところにありました。宿からは徒歩10分くらいのところでした。
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なかなか立派な落ち着いた建物です。入浴料は9€。安いです。フロントでバスタオルとロッカーにキーを受け取り、更衣室に向かうのですが、男女別々の更衣室というわけでもなく、なんとなくロッカーが並んでします。よく分かりません。タオル一枚を持って絨毯の敷かれた通路を進むと飲食のできる広いラウンジが現れ、浴場へはらせん階段で階下に降ります。大理石を基調として いるのでしょうか、そこには明るい白い壁とフロアーに囲まれた空間が広がります。まさにテルメといった印象です。日本の温泉とは全く異なる雰囲気です。

階段を下りてメイン通路に一歩足を踏み込むと、突然、目の前に3人のうら若き女性が現れました。なんと! 一糸纏わぬ姿ではありませんか! 驚きの余り視線はロックされてしまいました。余りにも非日常的で、そして夢見心地のような光景に時間を忘れる思いでした。ただ、これは始まりに過ぎず、その後も次々と驚くべきシーンを目の当たりにすることができました。ここでは全ての体験を書き留めることはせず、記憶にとどめておくことにします。
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上の図は、カイザー・フリードリヒ・テルメのパンフレットに記載された浴場内部の概略図です。全部で10種類程度の浴場があります。サウナが一番多く、高温と低温がそれぞれ一つ、更にミストや石焼サウナなど色々と楽しめます。いわゆる湯船のお風呂もジャグジー付きのものやら幾つかあります。中央の縦長の浴槽は、深さ1m以上の水風呂で、まるでプールです。長辺は15m位はあるでしょうか。手前の高温サウナで思い切り汗をかき、身体を熱してから飛び込むと爽快です。水着なしの水泳を楽しんでいる人もいました。サウナではタオルを敷いてその上に身体を置くようにとスタッフに注意されました。それ以外は、各浴室の横のフックにタオルを掛けるようになっています。すべてのお風呂を楽しもうとすると、半日くらい滞在しても良いかと思うほどでした。


【走行データ】
走行距離:12.52km(累計:515.14km)
平均速度:10.7km/hr
最高速度:23.6km/hr

【ヴォルムス (Worms)豆情報】
ヴォルムスはローマ時代、この地方の中心都市でローマ時代末期には司教座が置かれ、宗教的にも重要な都市であったそうです。大聖堂(ドーム・.ザンクトペータ)は、1018年に着工し1230年頃に完成と、完成までに200年余りの年月を要しています。建築様式はラインラント・ロマネスク様式だそうで、工事の最後の部分ではゴチック様式が取り入られ、さらに18世紀には、祭壇のあたりが金色燦然のバロック様式に変わったそうです。ヴォルムスに限らず、欧州の大聖堂の完成には何世代にもわたる年月を要するのが当たり前で、日本の木造建築の寺院と比較すると、いかに多大な労力と費用を要するか想像を越えます。

この地にはゲルマン民族大移動の時代、ブルグント族という種族が本拠を構えていたそうですが、437年に中央アジア方面から東進して来た騎馬民族のフン族の攻撃により滅亡したそうです。この国家滅亡の悲劇を壮大な叙事詩で綴った物語詩が、「ニーベルンゲンの歌」です。ヴォルムスはこの物語詩の舞台になったブルグント王国の首都でした。「ニーベルンゲンの歌」は、ドイツで最も有名な文学遺産だそうです。ワーグナーの歌劇「ニーベルンゲンの指輪」もこの叙事詩をベースにしているとのことです。

神聖ローマ帝国の時代に入って、ヴォルムスは帝国議会の開催都市のひとつとない、100回以上の帝国議会が開催されたそうです。1521年にマルティン・ルターが、宗教裁判に掛けられ追放措置を受けた町としても知られています。ルターは皇帝カール5世に強く翻意を促されたにもかかわらず、断固として自説を譲らなかった。「プロテスタント(抗議をする者」の語源はこの議会での抗議を起源としているそうです。町の中央、大聖堂の北約200mのところにルーターを中心に十二の像が配置されたルターの記念碑があるのですが、当日はここに立ち寄ることをすっかり忘れてしまいました。

ヴォルムスはワインの里としても有名です。「リープフラウエンミルヒ(Liebfrauenmilch)」という銘柄は、世界的にも有名なドイツの白ワインのブランドです。日本でもワインセラーやデパ地下のワインコーナーに行くと、このラベルを張ったワインをよく見かけます。「マドンナ」の銘柄で売られているワインもそうです。

このワインの起源は、ヴォルムスの北の町はずれにあるリープフラウ(聖母マリア)修道院の修道士が作っていたワインにあるそうです。修道士をドイツ語ではMönch(メンヒ)といいますが、この地方では訛ってMinch(ミンヒ)というそうで、地元ではリープフラウエンミンヒと呼んでいたのが、別の土地に誤り伝えられ、リーブフラウエンミルヒ(聖母の乳)と呼ばれるようになったそうです。なかなか面白い話です。方言が軽い甘口の「リープフラウエンミルヒ」にぴったりの美しい言葉に変換されたということでしょうか。

【マインツ (Mainz)豆情報】
バーゼル(Basel)から北上すること360km、「上ライン」の終着地がマインツです。人口20万人の大きな街。ブンデスリーガ・マインツの本拠地で、今期は武藤嘉紀さんが活躍、一昨年までは、現在プレミアリーグ・レスターで活躍する岡崎慎司さんも所属していたチームなので日本でも馴染みの深い地名です。一昨年、私たち夫婦が初めてドイツ自転車旅行を楽しんだマイン川は、この地でライン河に合流します

マインツはケルト人がつけた「モゴンティアクム(光の神モゴの地)」が最初の名前だそうで、その後、ローマ時代の将軍アグリッパが、ここを対ゲルマン諸族の最前基地として、居住地及び軍団根拠地としたとのことです。ローマ人のゲルマン民族への侵攻と飽くなき領土拡大に対する意志の前に立ちはだかったのは、ライン河のとうとうたる流れだったことは疑いがありません。実際にライン河畔に立つと数百mを超える川幅そのの流れを目の前にすると、甲冑に身を固めた古代ローマ人の大軍勢を対岸に運ぶことは容易なことではなかったことが想像できます。

その後、ローマ支配が300年続いた後、ゲルマン民族の移動(4~5世紀)があり、カール大帝の帝国統一と崩壊(9世紀)、神聖ローマ帝国の成立と衰退(10~18世紀)と、歴史の大きな流れの中で中心的な都市としてして繁栄し、衰退もしたのだと思います。

マインツには大司教座があり、神聖ローマ帝国の皇帝選挙権を持つ7人の選帝侯の筆頭の地位を務めたのはマインツ大司教です。13世紀以降の中世に権勢を誇った都市でもありました。近世に入ると衰退が始まり、ナポレオンによって引導を渡された神聖ローマ帝国の崩壊とともにマインツの地位も失墜したようです。ナポレオンの時代に司教領主と選帝侯の制度が廃止され、大司教はキリスト教の高僧という本来の立場に戻ったということです。

マインツは2000年を超える長い歴史を持つ古都ですが、第二次世界大戦の爆撃で大きく破壊され、昔のものはあまり残っていないそうです。大聖堂、グーテンベルク博物館、大聖堂南に僅かに残る旧市街くらいが見所とのことです。マインツ大聖堂の創建は、ヴォルムス大聖堂よりも40年ほど古く975年に着工され、1036年には完成したそうです。ヴォルムス大聖堂と同様に、ラインラント・ロマネスク様式の建築で東西に内陣を有し、6つの塔を構えています。

ライン河はマインツから「中ライン(Mittel-Rhein)」 と呼ばれボンまで続きます。そして、途中ビンゲンからコブレンツまでは「ロマンティック・ライン」と呼ばれていて、古城とワイン醸造所が続く魅力的な地域です。

【マインツ、ケルン、トリーアの三大司教の豆情報】
これら三都市の大司教は、キリスト教の高僧であり、もともとはそれぞれの司教区の全ての教会を監督するのが本来の任務だったのですが、時代とともに世俗の領主と同じように、政治、軍事上の権力を持つようになり、領地と領民を支配するに至ったようです。三大司教は、大司教領の領主であると同時に、皇帝を選挙する権限を持つ選帝侯でもあり、政治と宗教両面で強大な権力を有していたことになります。

(続く)
5月10日(火) 曇りのち雨 ヴィースバーデン (Wiesbaden)→バハラッハ(Bacharach)
http://dolphin-kick55.at.webry.info/201609/article_3.html

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